鬱蒼とした森が静かに語る慶州金氏誕生伝説
アンニョンハセヨ、ナビです。歴史とともに暮らす町、慶州にて王家の誕生伝説にまつわる小さな森を見つけました。新羅の王姓でもある慶州金氏のルーツも実はこの小さな森にありました。時代はさかのぼって西暦65年。木々が生い茂る静かなこの地で、いったいどんな事件が起こったのか。鶏林(ケリム)の語る伝説に耳を傾けてみましょう。
鶏林はどこにあるの?
東洋最古の天文台である瞻星台(チョムソンデ)を出てすぐ左に、鶏林や慶州郷校(キョンジュヒャンギョ)への道を表す案内板が出ています。その案内板に従って行くと50mほどで鶏林に到着します。道の右手、柵に囲まれた敷地内が鶏林と呼ばれる場所です。
金色の櫃から生まれた男の子
西暦65(脱解王9)年のことです。瓠公(ホゴン)という人が半月城(パヌォルソン)のそばを歩いていると、始林というところがキラキラと光っているのを見つけました。その場所には天から紫色の雲が伸びており、見ると木に金色の櫃がかかっているではありませんか。その木の下では鶏が何かを知らせるかのように声高く鳴いています。これはただ事ではないと驚いた瓠公は、時の王である脱解(タルヘ)王に報告をしました。すぐさま王が始林まで駆けつけ金の櫃を開けてみると、なんと中から美しい男の子が出てきました。大いに喜んだ脱解王はこの男の子を閼智(アルチ)と名付け、また金の櫃から生まれたとして「金」の苗字を与えました。このとき与えられた金の苗字が現在まで脈々と続く慶州金氏の始まりです。その後、始林と呼ばれていたこの場所は木の下で鶏が鳴いていたことから鶏林と呼ばれるようになりました。
鶏林内の碑閣と王陵
チケットを買って中に入ると、右手前方に小さな建物があります。この建物は鶏林碑閣といい、1803年に建てられた鶏林の伝説を刻んだ碑を祭ってあります。左手には郷歌碑が建てられ、右手奥には奈勿王陵(ネムルワンヌン)があります。
奈勿王のカカシ大作戦
鶏林の奥にあるこの王陵は新羅第17代国王、奈勿(ネムル)王の墓です。47年間というこの当時にしては比較的長い在位を持つこの王は、新羅の国家体系を整備した人物として高い評価を受けています。奈勿王にまつわる伝説もいくつかありますが、その中でも特に耳目を引くのは364年に攻めてきた倭寇を撃退した話でしょう。倭寇が攻めてくるや、奈勿王は吐含(トハム)山のふもとに数千体にものぼるカカシを立たせました。それを目くらましに、実際の兵士を別の場所に伏せて奇襲攻撃を行い、見事倭寇を撃退したのです。また凶作の年には税金を1年間免除したという記録もあり、知性と人情を兼ね備えた優秀な王様だったようです。
鬱蒼とした鶏林とは対照的に、視界の開けた場所にある奈勿王陵。時代背景に少し差があるものの、2つの伝説を同時に楽しめる場所です。ナビが訪れたのは10月も半ばを過ぎたころで、地面は落葉でいっぱいでした。秋を迎えて金色に染まった葉を眺めつつ、金閼智を抱いた金色の櫃はどの木にかかっていたのか、しばし考えてしまいました。以上、ナビでした。