半月型の城跡に朝鮮時代の天然冷蔵庫が残る
アンニョンハセヨ、ナビです。半月模様に築かれた新羅の城跡で、朝鮮時代の天然冷蔵庫を発見しました。自然の丘陵を削って作られたこの半月城(パノォルソン)は、南に川を置いた自然の要塞。東には絢爛豪華な雁鴨池(アナッチ)があり、当時はさぞかし雅な姿だっただろうと推測されます。ただ残念なことに現在は何も残っておらず小さな建物跡が残っているだけ。片隅にある天然冷蔵庫だけが観光客をひきつける、どこか寂しさすら感じさせられるところです。
半月型に築かれた自然の要塞
西暦101(婆娑王22)年に作られた半月城(月城、在城ともいう)は土と石を混ぜて作られた城です。この城跡に行くには2通りの道があります。ひとつは大陵苑(テヌンウォン)から瞻星台(チョムソンデ)、鶏林(ケリム)と歩き、鶏林の入口を出て右手にある階段をのぼる道。もうひとつは慶州駅から国立博物館へと伸びる国道7号線に面した側から入る道です。とくに案内所やチケットを売る場所などはないので、自由に入って歩き回ることができます。石氷庫(ソッピンゴ)の前に土産物を売る屋台が少し。敷地内に簡易トイレがあります。
朝鮮時代の天然冷蔵庫
小山のような形の石氷庫は天然の冷蔵庫。まだ氷が貴重だった時代、冬の間この石氷庫に氷を保管して1年間大事に使ったそうです。石氷庫自体は新羅時代から使われていましたが、この半月城に残る石氷庫は18世紀に作られたものです。これだけ完全な形で残っている石氷庫は珍しく、歴史的にも非常に貴重なものなのだそうです。天井には換気のための穴が3つ、内部は奥にいくに従って少しずつ傾斜しており、たまった水を外部に排水できるようになっています。入口は柵で覆われていますが、中をのぞくことはできます。
半月城にまつわる伝説
この半月城にはひとつの伝説が残されています。まだ半月城が建てられる以前のこと。後に新羅第4代国王となる昔脱解(ソッタルヘ)は、その土地が非常に縁起のいい場所であることを知りました。ぜひともそこに住みたいと思いましたが、すでにそこには新羅の重臣瓠公(ホゴン)の家がありました。あきらめきれない昔脱解はなんとかしてこの土地を手に入れようと一計を案じます。瓠公の家の周りに砥石や金物、炭などを埋めると、後日瓠公に向かって言いました。
「この土地はもともと私の先祖のものなので返してください。私の先祖はこの土地に長く住んでおり、わずかの間他の国に出ただけです。先祖はここで鍛冶屋を営んでいました。きっと家の周辺を掘れば確実な証拠品が出てくるでしょう。」
驚いた瓠公が家の周辺を調べてみると、確かに金属や砥石などが出てきました。それを見た瓠公はしぶしぶながら納得し、この地を手放したそうです。その後、事件の一部始終が第2代国王、南解(ナムヘ)王の耳に入りました。たいへん優秀な人物だと喜んだ南解王は昔脱解を婿養子にとり、後の第4代国王としました。昔脱解はこの吉兆の地を王城とすることに定め、それを引き継いで第5代国王、婆娑(パサ)王が半月城を完成させました。
栄華を極めた城跡も今や
昔脱解が苦労して手に入れた吉兆の地も、いまや兵どもが夢の跡。低い石段が残るだけで、広い敷地には王宮の面影すらありません。ただカササギたちの楽園となっています。「はやく復元しなきゃいけないんだけどねえ」とため息をついたのは石氷庫前に並んだ土産物屋のおばちゃん。王宮が復元されたらこの地を観光に訪れる人もいっそう増えることでしょう。
瞻星台から鶏林を経て、雁鴨池に抜ける途中に位置する半月城。石氷庫以外に目を引くものはありませんが、何もない空き地にも少し目を向けて見てください。今から2000年もの昔。新羅の英雄たちによるドラマがここで繰り広げられていたのです。以上、ナビでした。