道路を隔てて向かいに建つ武烈王の息子の墓
アンニョンハセヨ、ナビです。新羅の三国統一に尽力した武烈(ムヨル)王の墓の向かいに、ひっそりとたたずむ2つの古墳があります。文武王の2番目の息子である金仁問(キムインムン)と、武列王の9代孫、金陽(キムヤン)の古墳です。駐車場の隣に位置する地味な古墳ですが、武烈王の墓を見学した後にでも、ちょっと立ち寄っていただけたらと思います。
金仁問墓
2つ並んだ古墳のうち、大きいほうが金仁問の墓です。金仁問は新羅第29代国王、武列王の2番目の息子になります。兄は第30代の国王として知られる文武(ムンム)王。父や兄の墓には及びませんが、金仁問も立派な墓に眠っています。金仁問は優秀な外交官として活躍した人物。唐と新羅を都合7度も往復し外交交渉を行ったと伝えられています。また金仁問は外交官としてだけでなく、書家としても有名でした。道路の向かいにある太宗武列王陵碑に刻まれた文字は金仁問によって書かれたものだそうです。
金陽墓
金陽は武烈王の9代孫にあたります。統一新羅と唐の間で和平交渉などに大きな貢献をしました。
西岳洞亀趺
金仁問、金陽の墓と並んで碑閣がひとつ建っています。中に祭られている亀趺は碑そのものがすでに失われており、台座部分だけが残っています。背中の上には碑を置いたと思われる跡が残されています。
全体的な造詣は隣の太宗武列王陵碑とよく似ています。違いがあるのは後足の指の数。武烈王陵碑の亀は前足の指が5本、後足の指が4本に作られており、これは亀が勢いよく歩くときに後足の親指を隠すという性質を忠実に表現したものとされています。西岳洞(ソアットン)の亀趺は前足も後足も指が5本あり、亀の躍動性という点において美術的価値が少し下がるそうです。年代も造詣もほぼ同じくする亀趺でありながらも、太宗武列王陵碑は国宝、岳洞亀趺は宝物に指定されています。そのあたりの微妙な表現力が影響しているようです。
目的地としてこの古墳を訪れる人は少ないかもしれません。隣の武烈王陵だけ見てそのまま次の目的地に移動してしまう人がほとんどだそうです。ひとまわりするにもたいして時間はかからないくらいの規模なので、亀の指を確認するだけでも、ちょっと立ち寄ってみてはと思います。以上、ナビがお伝えしました。