新羅1000年の歴史はこの場所から始まった!
アンニョンハセヨ、ナビです。ここ慶州を王都とした新羅は、7世紀後半に朝鮮半島の統一を果たし、約1000年という長い歴史を刻みました。建国期の歴史は神話めいた話がほとんどですが、その歴史は紀元前57年に始まるとされています。高麗に降伏する935年まで続いた1000年王国の長い歴史。ひもといてみると、その始まりは小さな井戸からでした。新羅の建国神話にまつわる場所を訪れてみました。
新羅初代王の誕生伝説今から約2000年前。古朝鮮から南下してきた人たちが慶州周辺に住み始めました。これらの人々が山間に作った6つの村を辰韓(馬韓、弁韓とともに古代朝鮮半島南部に割拠した韓族)の六部と呼びます。
紀元前69年。六部のひとつ、高墟村の村長が南山(ナムサン)に上り麓のほうを見下ろしていると、蘿井(ナジョン)という井戸のそばに異常な精気が集まっており、白馬が跪いているのを発見しました。これはただならぬことであると思った村長が、ただちにその場所へ向かってみると、白馬は嘶きを残して天へと飛び去ってしまいました。白馬のいたところには大きな卵が残されており、それを割ってみると中からは眉目秀麗な男の子が生まれました。この男の子こそが新羅の初代王、朴赫居世(パクヒョッキョセ)です。六部の村長たちは朴赫居世が13歳になったときに、彼を君主に据え、国号を徐那伐(ソラボル)と定めました。この徐那伐が後に新羅と呼ばれるようになりました。
朴赫居世の生まれた場所
蘿井には現在も井戸がありますが、石のふたで堅く閉じられており中をのぞくことはできません。建物の中には碑石がひとつあり、これは1802年に立てられたものです。現在、蘿井は文化財整備事業の一環として発掘調査が行われており、関係者以外の出入りが禁じられています。
六部村の始祖を奉る場所
蘿井を通りすぎてしばらく行き、左手に見えるのが楊山斉(ヤンサンジェ)です。楊山斉は朴赫居世を君主とした六部村長の位牌をまつる祀堂として1970年に建設されました。六部村長は新羅第3代の儒理(ユリ)王によって新羅建国に対する功をたたえられ、六部の名前を改めて、それぞれが姓をもらいました。その 6姓が、李氏、崔氏、鄭氏、孫氏、?氏、薛氏であり、現在まで続くそれぞれの姓の初代にあたります。
手入れの行き届いた敷地内を行くと、突き当たりに立徳廟という建物があります。この建物の中に六部村長の位牌がまつられています。向かって左から李氏、崔氏、鄭氏、孫氏、?氏、薛氏の順になっています。
ナビが訪れたときは年配の方たちが団体で訪れていました。それぞれご自分の祖先をお参りにきたようです。自らの姓をさかのぼること2000年。初代に出会うというのはやはり感慨深いことでしょう。新羅の歴史はここから始まりました。現在見られる慶州の姿もここが始まりといって過言ではありません。壮大な歴史が生まれた場所。1度ごらんになってみませんか? 以上、ナビでした。