慶州郷校

キョンジュヒャンギョ경주향교

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新羅、高麗、朝鮮時代の学校がここにあります

アンニョンハセヨ、ナビです。大陵苑(テヌンウォン)から瞻星台(チョムソンデ)、鶏林(ケリム)と続くこの一帯は、慶州を訪れる観光客の多くが立ち寄る場所です。その一角、鶏林の角を曲がってすこし外れた場所に慶州郷校(キョンジュヒャンギョ)はあります。ここはかつて新羅の国立大学があった場所。時代を越えて高麗、朝鮮時代にも地方の教育期間として役割を果してきました。
新羅時代から続く由緒ある学び舎
慶州郷校がある場所にはかつて新羅の国立大学がありました。三国史記には新羅の第31代、神文王2(682)年に国学(現在の国立大学)を創立したと書かれています。
慶州郷校が初めて建てられた時期ははっきりしません。1492年に成均館(朝鮮時代最古の教育機関)を手本として再建されたと記録されています。豊臣秀吉の文禄・慶長の役のときに焼失してしまいましたが、1600年に大成殿と典祀庁、1604年に東廡、西廡、1614年に明倫堂と東斉、西斉を修復し現在の姿となりました。
慶州郷校内の建物
現在の入口は脇に設置されていますが、正式に門から入ったとして正面に見えるのが大成殿です。その両脇に伸びる建物が東廡と西廡。ここは孔子を初めとする先賢たちの位牌を収め祭祀を行う場所です。大成殿の奥へ行くと明倫堂があります。明倫堂の左右にあるのが東斉と西斉。明倫堂は講堂、東斉と西斉は学生たちが研究をした場所です。
慶州郷校は朝鮮時代の郷校としての代表的なつくりを残しており、文化財としても貴重なものです。このようなかたちで残る郷校は慶州郷校のほかには、全羅南道の羅州(ナジュ)にある羅州?校くらいだそうです。かつての学び舎がそっくり残る場所。なにやら自らの向学心をも刺激してくれるような気がします。以上、ナビでした。

記事登録日:2002-12-31

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スポット登録日:2002-12-31

スポット更新日:2012-06-19

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