三国統一の精神を受け継ぎ、南北統一を願う場所
アンニョンハセヨ、ナビです。今から1300年もの昔、ひとつの国が朝鮮半島統一を果しました。三国時代を経て、百済、高句麗を滅ぼした国。統一新羅の誕生です。慶州駅からバスで約20分の場所にある統一殿は、かつての統一に向けた新羅精神を、現代に受け継ぐという目的で作られた場所です。かつての三国統一にあやかって、現代の南北統一も達成したい。そんな思いが込められています。
統一殿とは
統一殿(トンイルジョン)は1977年、朴正熙(パクチョンヒ)大統領の指示により建設されました。かつて三国統一の偉業を達成した新羅の英雄たちを奉り、南北統一への精神的支柱にしようという意味が込められているそうです。この地に奉られている英雄は3人。新羅の第29代国王、武烈(ムヨル)王、第30代国王、文武(ムンム)王、そしてキムユシン将軍です。統一殿には彼らの事績碑や肖像画、歴史をモチーフとした記録画などがあり、また三国統一記念碑、三国統一殉国無名勇士碑が置かれています。
新羅の三国統一
4世紀初頭から7世紀にかけて高句麗、百済、新羅の3国が鼎立した時代を三国時代といいます。新羅は唐と手を組み660年に百済を、次いで668年に高句麗を滅ぼしました。その後、朝鮮半島をも併呑しようとした唐を退け、半島において史上初の単一民族国家を形成しました。この輝かしい統一時代を迎えるのに尽力した王が武烈王と、その息子である文武王です。百済を滅ぼした武烈王は翌661年に亡くなりましたが、その後を継いで文武王が三国統一を達成しました。その2人の王に使えた当時の宰相がキムユシン将軍。新羅の三国統一はまさにこの3人が中心となってなしえた偉業なのです。
統一に貢献した英雄の素顔を拝む
統一殿の敷地に入り興国門を抜けると、右手に大宗武烈王、文武王、キムユシン将軍の事績碑、左手に三国統一記念碑があります。事績碑と記念碑の間を抜け誓願門をくぐり、正面にあるのが統一殿です。この統一殿の中には3人の肖像画が奉られており、また統一殿を囲むように、3人の伝説になぞらえた歴史の記録画がかけられています。
3人の陵墓を訪れてみよう
ここ慶州には彼ら3人の墓があります。それぞれ別のところに埋葬されていますが、ひとつひとつ訪ねて歩くのも旅行のよいテーマになると思います。大宗武烈王の陵墓は高速バスターミナルから兄山江(ヒョンサンガン)を越えて左手、西岳洞(ソアッドン)というところにあります。ここでは国宝第25号に指定されている大宗武烈王陵碑や、古墳が直列に並ぶ珍しい古墳群が見られます。キムユシン将軍の墓は反対に兄山江を越えて右手、忠孝洞(チュンヒョドン)という場所です。将軍の陵墓を取り囲む十二支神像が見所です。文武王の陵墓はぐっと離れて海にあります。慶州から東へバスで1時間。海中に浮かぶ大きな岩が文武王の陵墓と伝えられています。それぞれ詳しい情報は以下をご参照ください。
慶州にはいくつもの史跡があります。そしてさまざまな物語があります。有名な観光地を数多くまわるのではなく、物語に沿って訪ねてみるのもまた違った楽しさです。統一殿はとくに史跡として指定されているわけではありませんが、新羅の歴史を語る上で絶対に外すことのできない人物が奉られた場所です。歴史を知り、陵墓を訪ね、肖像画を拝む。広い慶州に散らばる物語を線で結び、観光にテーマという味付けをしてみてください。慶州をより深く楽しめると思います。以上、ナビでした。