国立慶州博物館

クンニッキョンジュパンムルグァン국립경주박물관

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慶州で出会う数多の感動、最後はすべて博物館に帰るのです

アンニョンハセヨ、ナビです。慶州の観光を語る上で、博物館は絶対に欠かせない場所のひとつです。ここ国立慶州博物館(クンニッキョンジュパンムルグァン)は、古都新羅の絢爛なる文化遺産を現代に保存する目的で設立されました。慶州地域の発掘調査によって出土した多くの文化財を保存展示しています。現在の国立慶州博物館は2万余坪の敷地に約10万点の文化財を所蔵し、そのうちの約2500点を広く一般に公開しています。
屋根のある博物館へ
慶州は各地に散らばる史跡、文化財の数から、屋根のない博物館と呼ばれます。道を歩けば古墳にぶつかり、有名な寺院、寺院址も数多く残されています。そのいくつかを巡ってみると、慶州にある観光地のひとつひとつが、互いに少しずつ関係性を持っているということに気付かされます。同じ人物。同じ伝説。同じ場所。慶州は作られた観光地ではありません。紀元前59年から935年まで、約1000年間続いた新羅の王国文化を現代に残した場所です。慶州にある観光地は、新羅の歴史物語という共通点ですべて結ばれています。
慶州を舞台に描かれたこの歴史物語は非常に壮大なものです。すべてを丹念に読み込んでいくのはまず不可能であると言えましょう。しかし、その不可能をある程度まで可能にしてくれる場所が、この国立慶州博物館です。国立慶州博物館では慶州全体の姿を文化財展示という形でわかりやすく見せてくれます。慶州各地から発掘された遺物が公開展示されている姿は、まさに小さな慶州そのものです。

また博物館に展示される文化財は各史跡と表裏一体をなすものでもあります。史跡から発掘された文化財の一部は保存という観点からも、多くがこの博物館に集められています。有名な史跡を訪れるだけでは、これらの文化財に出会うことができません。慶州のあちこちで目にした、耳にした文化財の本物がこの国立慶州博物館にあります。慶州の史跡を見て回ったら、その後に博物館を訪れてみてください。慶州で出会う数多の感動が、より一層深いものとなります。
国立慶州博物館の歩きかた
国立慶州博物館は大きく4つのエリアに分けられます。本館に加え、第1別館、第2別館があり、屋外にも展示がなされています。考古館と呼ばれる本館は、さらに3つの部屋に分けられており、古墳から出土した遺物などを見ることができます。第1別館は仏教美術室と呼ばれます。仏像をはじめとした新羅の芸術作品に出会える場所です。第2別館は雁鴨池館と呼ばれます。雁鴨池(アナッチ)という池から出土した遺物をまとめた場所です。これら3つの建物に屋外展示を加え、以下に少しずつ見所を紹介していくことにします。

考古館(本館)
考古館は全部で3つの部屋から成り立っています。正面入口を抜け、左手にあるのが先史・原三国室。ここでは新石器時代、?銅器時代、初期鉄器時代、原三国時代の遺物を展示しています。先史・原三国室を抜けて入口正面にあるのは古墳室。慶州市内に数多く存在する古墳から出土したものを集めました。入口右手は菊隠記念室。菊隠とは故イ・ヤンソン博士の号であり、この展示室には博士が寄贈した666点のコレクションが展示されています。
 
<先史・原三国室>
先史・原三国室には各種青銅器や鉄器などが時代に従って展示されています。銅剣や矢じりなどの武具関係、装飾品などが見られます。圧巻は入口すぐのところにある巨大な拓本。これは蔚山大谷里盤亀台というところにある、岩に刻まれた絵を拓本にとったものです。この絵には人間を始め、当時狩猟の対象であったクジラ・海亀・イルカ・虎・豹・熊・羊・犬・鹿・猪など様々な獣が描かれています。年代については諸説ありますが、青銅器時代後期のものと推定されています。
<古墳室>
古墳室へ入ってすぐ目に飛び込んできたのはまばゆいばかりの金冠でした。この金冠は路東洞・路西洞古墳公園(ノドンドン・ノソドンコブンコンウォン)の中にある瑞鳳塚(ソボンチョン)から出土したものです。1926年当時、スウェーデンの皇太子が発掘調査に参加し、この金冠は掘り出されました。美しい鳳凰の装飾が見事です。

路東洞・路西洞古墳公園から出土した金冠はもうひとつあります。金冠塚から出土した冠。この金冠は1921年に民家を建てようと作業をしていて偶然掘り出されました。同じく古墳室に展示されています。写真は金冠、冠飾、腰帯です。
大陵苑(テヌンウォン)にある天馬塚(チョンマチョン)の内部には、出土した金冠などが展示されています。これは本物をもとに作られた精密なレプリカで、金冠や冠帽、腰帯などの本物はここ古墳室にあります。天馬塚という名前の由来となった天馬図は破損がひどく、残念ながら展示はされていません。
キムユシン将軍墓(キムユシンチャングンミョ)から出土した、ろう石に彫られた十二支神像(亥像)です。キムユシン将軍墓は十二支神像を彫った護石で囲まれており、ろう石の十二支神像も同時に埋められたと見られています。キムユシン将軍墓からはこのほかにも牛像、卯像が発見されています。
<菊隠記念室>
故イ・ヤンソン博士の寄贈した666点のコレクションはどれも素晴らしいものですが、その中でも特に目を引くのがこの騎馬人物型土器と鴨型土器です。騎馬人物型土器はその写実的な表現が高く評価されており、国宝275号に指定されています。慶州民俗工芸村(キョンジュミンソッコンイェチョン)では、これらの土器を忠実なレプリカとして再現しており、お土産として買って帰ることができます。

考古館(本館)
美術館(仏教美術室)
以前は本館内にあった仏教美術室が2002年5月をもって第1別館に移りました。代わりに以前まであった古墳館が本館内に移動しています。この仏教美術室では寺院址から出土した文化財や仏像などを集めています。
<歴史資料室>
歴史資料室に入ってまず驚くのは床下に展示物があることです。ガラス張りの床下に、発掘現場で作業をしている様子を再現した模型が展示されています。新羅王京を復元した模型もあり、現在観光地として知られる場所が、当時どのような位置関係であったのかを知ることができます。歴史資料室の手前にはミニシアターのようなビデオルームが用意されており、慶州の文化財についての映像を見ることができます。
<彫刻室>
この彫刻室には栢栗寺(ペンリュルサ)から発掘された2つの文化財が展示されています。ひとつは栢栗寺の本尊として奉られていた金銅薬師如来立像。国宝第28号に指定されています。統一新羅時代に作られた金銅仏像としては最大のもので、仏国寺(プルグッサ)にある金銅毘盧遮那仏座像、金銅阿弥陀如来座像とともに統一新羅3大金銅仏として知られています。もうひとつは異次頓殉教碑。新羅の仏教公認のために命を賭した異次頓(イチャドン)僧侶の殉教する姿を描いた絵が彫られています。
<金属工芸室>
金属工芸室には感恩寺(カムンサ)址に残る、2基の三層石塔から発掘された青銅製舎利装置が展示されています。感恩寺は7世紀後半に新羅の第30代、文武王が倭兵の侵入を仏力にて守ろうと建設を始めた寺です。感恩寺址は護国龍伝説の残る文武大王陵(ムンムテワンヌン)の近くにあり、現在は三層石塔だけを残すのみとなっています。
<皇龍寺室>
皇龍寺(ファンリョンサ)はかつて総面積2万坪という、広大な敷地を有する東洋最大の寺院でした。553年に建設が始まり、完成が694年。1238年までの約600年間、新羅最高の国家寺院として存在していましたが、蒙古軍の侵攻によって焼失してしまいました。現在に至るまで再建はなされておらず、皇龍寺址には何もない空白地が広がるのみです。そのかつての栄華を確認できるのがこの皇龍寺室です。皇龍寺から発掘された数々の出土品をはじめ、九層木塔を含めた60分の1サイズの復元模型が展示されています。

雁鴨池館
雁鴨池館
博物館から200mほど離れたところに雁鴨池(アナッチ)はあります。雁鴨池は新羅の半島統一を祝うために建設が始められた、臨海殿(イメジョン)という宮殿の跡地です。新羅の王侯貴族が船を浮かべて遊んだ場所です。かつては華麗な建造物が立ち並んでいたはずですが、935年の新羅滅亡によって破壊し尽くされてしまいました。このとき美術品などもすべて池に放り込まれたといいます。雁鴨池の発掘調査が行われたのは1970年代。この発掘によって3万余点にものぼる膨大な量の遺物が出土しました。これらを収蔵するために雁鴨池館という別館が作られ、現在はこれらの出土品のうち約700点が公開されています。
<金属工芸品>
雁鴨池からは当時使われたと思われる生活に密着した遺物が多数出土しています。金銅製のハサミは奈良の正倉院所蔵である白銅剪子と形が似ており、当時の文化交流を示す貴重な資料とされています。
<木製品>
雁鴨池の出土品は、深い泥土に包まれていたため腐食を免れた木製品が多いのも特徴です。その中でも特に注目を集めるのが、宴席で用いられたこのサイコロ。サイコロには三盞一去(酒を3杯飲む)、空詠詩過(詩を詠ずる)、禁聲作舞(声を出さずに踊る)、衆人打鼻(皆に鼻を打たれる)など酒席を盛り上げる内容が書かれており、当時の貴族たちが遊んでいる姿が想像できます。
<仏像>
雁鴨池からは金属製の仏像も多く出土しています。これらの仏像はすべて7~10世紀にかけて製作されており、統一新羅時代の仏像研究を行う上で貴重な資料となっています。写真は金銅三尊板仏。統一新羅前期の代表的な作風をしています。
雁鴨池館には他にも様々な展示物があります。雁鴨池は仙人が住む世界をモチーフに作られており、池には大小3つの島を浮かべ、東側の岸には12の小山が築かれています。雁鴨池には仙界にふさわしく珍しい動物を放したとされ、出土品の中には動物の骨も多く含まれています。また池に浮かべて遊んだとみられる木製の舟も展示されています。

庭園内野外展示
国立慶州博物館の庭園には各地の寺址などから移した、約250点の石造遺物が展示されています。野外展示の品目は石仏、石塔などを中心に建築部材も多く含まれます。

<聖徳大王神鐘(エミレの鐘)>
国立慶州博物館の入口を抜けて、右手正面にまず見えるのが聖徳大王神鐘です。この鐘は新羅第35代、景徳(キョンドッ)王が、亡くなった父、聖徳(ソンドッ)王の冥福を祈るために作り始めました。ところが景徳王の在位中には完成に至らず、完成はさらにその息子である恵恭(ヘゴン)王に引き継がれました。またこの鐘にはひとつの悲しい伝説が残されていることでも有名です。鋳造する際に溶けた銅の中へひとりの娘を捧げたいわれ、このときに娘が「エミレ(お母さん)」と泣き叫んだことから、この鐘は別名エミレの鐘と呼ばれています。完成後も鐘を打つとエミレと響いたということです。聖徳大王神鐘は国宝第29号に指定されています。
<高仙寺(コソンサ)址>
高仙寺は新羅第31代、神文(シンムン)王の時代に創建された寺です。元々は暗谷洞という場所にありましたが、ダム工事のため地域が水没してしまうことになり、1975年博物館へ移設されました。博物館の一角を占める高仙寺址には、国宝第38号に指定されている高仙寺址三層石塔、金堂(本堂)址、亀趺などが残されています。
博物館を真剣に見て回ろうと思ったら1日がかりになります。その他の観光コースに合わせて関連性のある場所を見て回るといいと思います。もちろん時間のある方はじっくりと観覧してください。国立慶州博物館にはたくさんの文化財が収められています。それは約1000年続いた新羅の歴史がひとところに詰まっているといっても過言ではありません。屋根のない博物館を、ぎゅっと濃縮した屋根のある博物館。この場所を抜きにして、慶州を語ることはできません。以上、ナビでした。

注意1:展示物や展示場所は変更になる可能性があります。
注意2:屋外展示を除き建物内部は写真撮影厳禁です。文化財保存の観点からも絶対にお止め下さい。

国立慶州博物館所蔵の代表的な文化財
栢栗寺金銅薬師如来立像 国宝第28号
聖徳大王神鐘 国宝第29号
高仙寺址三層石塔 国宝第38号
天馬塚金冠 国宝第188号
天馬塚金帽 国宝第189号
天馬塚金製怡帯・腰佩 国宝第190号
天馬図障泥 国宝第207号
騎馬人物型土器 国宝第275号

記事登録日:2002-12-31

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上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

スポット登録日:2002-12-31

スポット更新日:2014-03-25

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