朝鮮戦争時代の「臨時首都釜山」を伝える記念館
アンニョンハセヨ、プサンナビです。韓国の首都といえば、ソウルですが、釜山も一時期臨時の首都として機能していたことをご存じでしょうか?それがいつかというと1950年に勃発した朝鮮戦争当時。戦争が起こり、韓国内が戦地と化すと、釜山には多くの避難民が集まりました。それと同時に、釜山が政治、社会、経済などすべての面で中心となり、臨時の首都にも指定され、韓国の初代大統領李承晩(イ・スンマン)大統領もここ釜山で執務を行うことになったのです。そして、その際大統領官邸として使われていた建物、それが現在は記念館となっているこの「臨時首都記念館」です。
場所は、地下鉄1号線、トソンドン(土城洞・Toseongdong)から歩いて5分。土城洞は、
観光地チャガルチ駅のすぐ次の駅にあたります。以前は高級住宅地だったというこの土城洞は、一戸建ての家が建ち並び、小さなお店がぽつんぽつんと見える普通の住宅地です。そんな通りを歩いていくと、洋風の煉瓦造りの豪華な家が姿を現します。そこが、「臨時首都記念館」。春になると桜、木蓮などが咲き乱れさらに趣深い姿を見せてくれる釜山の隠れた名所でもあります。
記念館の歴史
この建物は1926年8月10日に竣工されました。その当時には、敷地内に全部で4つの建物がありましたが、そのうちの2つは取り壊され駐車場になり、残っているのは現在展示室、映像室として使われている2つのみ。実は、この建物日本人によって建てられたそうで、現在展示室と使われている建物は日本の行政担当者が使用、映像室として使われている建物が、慶尚南道(キョンサンナンド)の知事官舎として使われていました。第2次世界大戦後は、引き続き慶尚南道知事官舎としてのみ使用されていましたが、朝鮮戦争当時、釜山が臨時の首都となっていた1950~1953年の3年間は、大統領の官邸として利用されました。朝鮮戦争の休戦後、慶南道の官舎が昌原(チャンオン)市に移る1983年7月までは、再度、慶尚南道知事官舎として使われていましたが、その後、釜山市が民族の悲劇が二度と起こらないようにという願いを込めて、この由緒のある建物内に、朝鮮戦争当時の歴史的な記録物を展示しようと1984年に記念館に指定、2000~2001年には、復元補修工事も行われ、朝鮮戦争当時の各種写真資料を展示する記念館として活用され今に至っています。
展示室
展示室は1階と、2階に分かれています。1階は、応接室、書斎、内室、居間、食堂、厨房、調理師室、警備室の8つの部屋、2階には執務室があります。各部屋には朝鮮戦争当時の釜山の写真、大統領李承晩大統領の写真や遺品なども展示されています。日本人が建てたというだけに、横開きの押入、ドア、電燈など至る所に日本的な要素が感じられ、今だに新しさを感じさせる優雅な造りにはため息が漏れてしまいます。
映像室
庭を挟む形で建っている映像室では「朝鮮戦争、避難民そして釜山」というタイトルの映像(約10分)を観覧することが出来ます。上映は1日4回、10:00、12:00、14:00、16:00です。(団体の場合には、正門にある案内所もしくは、映像室内にある事務室に申し込めば上映時間にかかわらず随時上映をしてもらえます)映像はすべて韓国語ですが、朝鮮戦争当時の釜山の市場、青空教室で学ぶ子供、避難民の生活などを映し出す貴重な映像は、言葉が分からない私たちにも、その当時の状況を十分に伝えてくれます。釜山にもこのような過去があったんだと、さらに深く釜山を知ることができるでしょう。
小学生、中学生の学習の場として使われると共に、庭に置かれたベンチで市民がくつろぐ休息の場所にもなっている「臨時首都記念館」、見慣れた釜山、馴染みある釜山とは別の姿を感じることができる名所です。朝鮮戦争当時の釜山を知ることで、みなさん自身の釜山を見る目も変わってくるかもしれません。表面的な釜山ではなく、深く釜山を知りたい方にオススメしたいです。以上、プサンナビがお伝えしました。