東大新洞骨董品通り

동대신동골등품거리

閉店・移転、情報の修正などの報告

約60軒の本屋が並ぶ名物通り。雑誌も、辞書も新刊なのに割引価格!!

アンニョンハセヨ、プサンナビです。韓国のあちこちに散らばっていた古道具や家具が、東大新洞(トンデシンドン)に集まっているってご存知ですか?1970年代から東大新洞に一軒二軒と集まった骨董品の店が、いつの間にかひとつの通りになるほどに成長しました。全盛期には釜山市内に店を構えたすべての人が一度は足を運んだというほどの人気で、多くの人や骨董品であふれていたそうです。しかしながら、1990年台も後半に入ると骨董品のブームも去り、いまでは10軒程度の専門店が門を開ける規模にとどまっています。
そんな骨董品通りですが、最近になって再び注目を集め始めました。『21世紀、韓国文化を知ってもらおう!』というスローガンの下、毎週土曜、日曜には、近所の九徳運動場(クドッウンドンジャン)まで続く常設市場を開催。少々、陰りが見えていた、骨董品通りも再び活気が出てきたようです。それでは先人たちの知恵と技術が凝縮された、骨董品通りにいってみましょう!

東大新洞はどんなとこ?

地下鉄1号線東大新洞駅は、もともと、こうぞ(紙の原料になる木)が茂る村で、こうぞ畑の里と呼ばれていました。当時、東大新洞へ流れていた寶水川に護岸工事を施したあと、多くの人たちが集まるようになり、新市街を形成。そして、地名も大新洞に変ったそうです。1926年以後、東大新洞と西大新洞(ソデシンドン)に区分され、現在の姿になりました。
骨董品通りは地下鉄から5分程度歩けばたどり着きます。その道へ行く途中には、大きなアパートの敷地に造成された桜並木が目を楽しませてくれます。春なら散歩道にもぴったり。
古道具が骨董品へと生まれ変わる
店の外に展示された、昔の門や家具などは、ただ見るだけでも楽しめます。それらを作った人や使った人はもういませんが、道具は残って次の主人を待ち続けます。
薪などを運ぶとき背中に背負うしょいこ、穀物を砕くときに使ったうすなどを見ると、まるで田舎の親戚の家に来ているみたいです。ナビが小さいときに使ったチャンドクと呼ばれる伝統的なキムチ冷蔵庫(キムチを貯蔵する瓶)は、なにかとても懐かしい感じがしました。瓶は良質な粘土を練った陶磁器の一種なので、表面に細かい穴があり、中に入れられた食物も呼吸ができるといいます。だからといって食べ物が外に流れ出すというわけではないですけどね。ご安心を。
店の中に入ると、蓄音機やランプなど同じ種類の骨董品がたくさん並んでいます。現代でも非常に高価な螺鈿の箪笥(貝の殻を切り抜いてもので装飾した箪笥)などは骨董品価値がどれくらいなのか想像もつきません。価格を聞いてみると、なんと600万ウォンのものまであるとのことでした。そのほかにも再生時間が5分前後だったSPレコードや西洋でよく使われていたタイプライターも種類別に並べられていました。さすが骨董品通りです。
存在そのものが文化的な通り
大学生やデザインを学ぶ人たちが、こぞって写真を撮ってゆく骨董品通り。ここで撮られた写真は、すべて芸術作品になるといえるでしょう。商店の前にさりげなく立っている小さな塔やヘテ(注1)などは、あたかも骨董品通りを彩るためにディスプレイされたかのようにも見えます。
韓国におけるさまざまな風景の中でも、この骨董品通りのような古い姿に出会うことは、また一味違った面白さがあると思います。ソウルの仁寺洞のように観光名所として作られた通りではありませんが、気楽に楽しめる骨董品通りだと思います。以上、プサンナビがお届けしました。
※注1ヘテ:是非、善悪を判断するという想像上の動物。獅子と似ているが頭に角が1本あるとされる。

記事登録日:2002-09-12

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スポット登録日:2002-09-12

スポット更新日:2012-02-01

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